2305、そがひ6

2305、そがひ6
万葉和歌の浦改訂版、村瀬憲夫、求龍堂、1993,10
 第三章 和歌の浦・玉津島の歌
これは廣岡氏のより数か月遅いだけで、ほとんど同じ時期の出版である。そこでは、廣岡氏の言うような、雑賀野主語説や、その讃歌性は一言も触れておられず完全に無視した形である(村瀬氏は文中で、過去のいろんな説については、小野氏、廣岡氏の文を見よと言っておられるから、廣岡説は確実に読んでおられる)。そして、犬養説をさかんに引用し、玉の緒のように連なる玉津島に神性を見るところに讃歌性があると言われる。そういえば、人麻呂には、釧付く、玉垂の、といった枕詞があり、玉が連なるような土地への讃歌表現と思われるものがある。赤人はそれを知っていたのだろうか。そして「そがひに」についても、

村:「そがひ」は、万葉の原文では「背」の字が多く用いられていることからしても、…、「後方、背後」という意味が最もふさわしい…。それなのに何故こうまで諸説が入り乱れることになるかと言いますと、「背後」の意としますと、常宮の背後に玉津島山をとらえることになり、讃えるべき玉津島山が後向きでは、暗いイメージになる、すなわち讃歌の表現としてふさわしくない、というところにあるようです。
 私もそのように考えて、最近まで「前後、向かったり背にしたりする」という説に賛成でした。実際、常宮(離宮)の置かれたと推定される辺りから、玉津鳥山を望みますと、いくつかの小山(万葉時代は島であった)が前後に重なり合いながら並んで見えるのです。実景からしてもこの説を支持していたのです。…。
 ところがごく最近は、「後方、背後」説がやっばりよいのではと考えるようになってきました。と言いますのは、常宮から後ろを大きく振り返ってみるととる方が、この歌全体を貰く躍動感を一層助長させることになると思うからです。この歌にも、柿本人麻呂の安騎野の歌、
  東の野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ    (①四八)
と同様の、大きな動きとスケールとが詠み込まれていると思うのです。犬養孝先生は「鶴鳴き渡る―赤人の自然美の造型―」(『萬葉の風土〔続]』)で、「頓宮のある雑賀野から一転して景観の焦点となる沖つ島の玉津島、その清い渚へと動的展開的に微細化されて表出される」と述べていらっしやいます。大きく振り返って「沖つ島」をとらえるという大きな叙景から、その島の清らかな渚を歌うという微細な叙景へと展開するのです。このようにこの「そがひに」は、規格にはまった讃歌性を超えた、躍動感・叙景性をこの歌に与えていると言えます。

と言われる。長い引用になったが、氏が犬養説に大きく寄りかかっておられるのが分かる。しかし「そがひに見ゆる」に、「後ろを大きく振り返ってみると」という意味があるだろうか。この「に」は場所を示す格助詞だろうから、振り返る動作は必要なく、初めから「そがひ」を見ていて、そこに見える玉津島山ということだろう。確かに雑賀野に仕え奉る赤人達だが、必ず常宮に向かっていなければならないこともない。そこで奉仕していればよいのであって、別に、常宮を背にして南方の和歌浦湾の美景を見ていても構わないだろう。だから背後に見えるという負のイメージを抱くこともない。君臣和楽、天皇が美景を見る時、一段下または左右に並んで、臣下たちも天皇と同じく前方をみるのでよい。わざわざ臣下だけが、首をねじ曲げて後ろを見るほうがかえって不自然だ(ちょっと横向きになるぐらいはあるだろう)。そんなことでは美景の全体をじっくり見ることが出来ない。だから、「そがひに」は、「後ろに」とかではなく、「はるか彼方に」という山崎説が一番説得力があるのである。

山部宿祢赤人が歌六首(巻3・三五七~三六三)について、坂本信幸、萬葉語文研究第4集、2008.12.10
坂本氏については、廣岡氏なども引用していた、「赤人の玉津島従駕歌について」(『大谷女子大学紀要』1980.12)が相当に早い時期のもので、山崎、小野両氏の次になる。ただし私は未見である。
赤人は「そがひ」の用例が多く、玉津島以外に、この瀬戸内の一連の羈旅歌にも2例あり、坂本氏もこの一連の歌では「そがひ」が重要だと言って、最初に取り上げて居られる。ただし、論の主題は、一連の歌の、構造だとは言っておられる。
氏が引用された諸説は、山崎氏、小野氏、吉井氏の3氏で、2008年時点なら、ほかにもいろいろ出ているはずだが、言及されない。廣岡氏のも西宮氏のも紹介されない。
そして、

坂:「ムキ+アフ」が「ムカフ(向かふ)」になるごとく、「ソガヒ」の語源は「ソキ+アヒ(離き+合ひ)」の約と考え、赤人の表現には漢籍の立体的俯瞰的な位置把握の表現の間接的な影響があるものと考えている。

という旧稿の説を出されるのだが、これが、どのように、諸説の批判になるのか、また、「ソキ+アヒ(離き+合ひ)」→ソガヒ、と言うのは、具体的にどういう意味なのか、それが、なぜ「漢籍の立体的俯瞰的な位置把握の表現の間接的な影響がある」といえるのか、説明がないので、旧稿を見ることの出来ないものには理解が困難である(漢籍云々とあるのなら、吉井説で言及されると思うが、全く出てこなかった)。玉津島の島々が離れあっているというのは、どういうことなのか、それを立体的俯瞰的に見るためには、ドローンなどが必要だが、赤人は、どこから見たのか(当然雑賀野からの筈だが)。また赤人以外の他の用例にも、そういう「そがひ」の意味が適用されるのか、疑わしい。何にしても、この3行足らずの説明では、ほとんど何も言っていないに等しいのだが、坂本氏は、一連の赤人の羈旅歌にとって「そがひ」は重要だという。この3行のあとも、例によって厖大な作品の引用があるのだが、それらは「そがひ」の語義とは関係がなく、用例の前後とかの、一連の歌の構造の説明になっている。「そがひ」が重要だというなら、3行ですまさず、もうちょっと、旧稿の説を詳しく言うべきだったと思う。

赤人の景・序説――玉津島行幸従駕歌の景観叙述をめぐって――、身崎壽萬葉集研究第二十五集、2001.10.20
これは前述の坂本論文より7年も前だが、「そがひ」の主な論文はほぼ出尽くしていたので、それの集大成的なところがあるが、前述坂本論文と同様「そがひ」専論ではないからやはり徹底しない。それにしても長大な論文で、読み切るだけでも時間がかかり疲れる。しかも印象の薄い回りくどい文章だから余計だ。とにかく、結論は、宮廷寿歌の赤人的な変容(聖武時代の影響下ということもある)とか、時間の相のもとに再構成された独自の自然と、空間は、現実の天皇による支配を示すとか、語り手と天皇との視点の共有とか言ったことだが、それは私の関心事ではないし、紹介するとなるとなかなかやっかいなので、「そがひ」を論じているところだけの紹介にする。

身:語義に関してもかまびすしい論議のあることは周知のとおりだ。諸説は大別して、①「後方」などの意にとるものと②これを否定するものとにわかれる。②の説の代表的なものとしては、…山崎良幸…小野寛、…吉井巌…とする説などがある。のちにものべるように、基本的な意味としては①でよいとおもわれるのだが、ただ、それを、単に方向・位置のみの問題としてみてはならないとおもう。

単に方向・位置のみの問題としてはならない、というのは全く同感で、朝日は立山剣岳の間のどこから昇り、角度何度で立山を照らすとか、筑波山と葦穂山とが並んでみえるのはどこだとか、数字を並べたり、写真を出して現地調査を詳しく報告したりしただけの論文に大した意味はない(だから全く紹介されない)。作品の表現意図にどのようにかかわるか、赤人の場合、有名歌人の中では特に使用例が多いのだが、それは赤人にとって何を意味するのか、といったことが重要であり、私もその観点から考え直してみようとした。ただし、身崎氏の場合、地理的な考証を無視するあまり、実際の地理からして納得しにくいような、解釈があり、しかもそれの説明がほとんどないから(地理的な論考の無視につながる)、赤人歌の景観表現の分析にも恣意的な印象がつきまとう。作者の表現意図も重要だが、それを支える、語義や具体的な地理をおろそかにしたら、結論そのものの信憑性もゆらぐ。いくら作者が人為的に構成した景観とか自然であっても、玉津島なら玉津島の具体的な地理を無視したものは出来ない。玉津島は大きく変わったけれども、まだイメージは復元できる。
なお、ここの紹介だけでなく、「そがひ」の章全文にわたって、西宮氏の論文は今までの論者達と同様言及されない。②の説の難点だった「向」の語義が、この論文で正しく突き止められたのだから、それを無視して、「①でよいとおもわれる」などとは言えないだろう。

身:…「そがひに見ゆる」「そがひに見つつ」および「そがひに寝しく」の三タイプにわかれる。…この三タイプの間には、語義の面で微妙な相違があるようだ。…渡部和雄…、溝上貴信…にならって、タイプごとに語義をつきとめる必要があるだろう。そのことが逆に、「そがひ」の原義をあきらかにすることになるし、

タイプごとの語義の違いと、①の後方の意味でよいと言う考え方とをつなぐ説明がない(あとを読んでも)。後方という理解から、3つのタイプの意味は出てこないと思える(後を読んでも)。

身:A「そがひに見ゆる」
…ここでは、甲乙の単なる位置関係よりも、つねにこういったかたちで言及されていることの方を重視すべきだろう。…。つまり、このタイプは甲乙ふたつの場所がむかいあっている、対峙している、というところに力点をおいた表現なのだ。…「対峙」する…坂本信幸「赤人の玉津島従駕歌について」がある…。
…、『集成』の訳
  雑賀野に向き合って見える沖の島
などがただしい認識をしめしているといってよい。
…。それは、甲が乙に対置されるにふさわしい、ある卓越性・重要性をおびた土地だからなのではないか。もっともそれは、単にそこが「語り手」のいるところ、叙述の視点の所在地だから、かもしれない。だが、それ以上の意味をになっているばあいもあるはずだ。当該歌のばあいはまさにそうだとおもわれる。

甲からみて「そがひに」見える乙というなら、①でよいとする観点からなら、甲の後方に見えるとなるずだが、そういう地理考証は無意味だとして、「対峙している」という意味なのだという。これは吉井説と似ているが、身崎氏は吉井説を②に分類していたから、①とする主張とは一致しない。それともこのタイプは②で理解すべきだというのだろうか。それにしても対峙ということは向かい合っているのであって、背きあっているのではないから、吉井説とも厳密には一致しない。後ろに向くのでもなく、離れていくのでもない、まったく「そがひ」の語義に合わないのだが、その「そがひ」の語義については何も説明がない。最後の甲の位置の卓越性・重要性というのも、そう言う場合もあるはずだ、では説得性がない。「はず」などという推測の論理では、論証として不十分で、地理考証を批判する程の有効性はないと言えよう。なお、坂本氏の対峙の説はどういうことなのだろうか、その後の氏の論文で要約された内容とは違うのだが、もとの論文を見ていないので詳細は不明である。

身:B 「そがひに見つつ」
 …。甲をそがひに見つつ(乙へ)
というかたちにまとめられるだろう。…ここで暗示されているのはやはり土地甲の卓越性・重要性だということになる。かんがえてみると、「そがひに見」るというのは相互的なものだから、この逆転は不自然なものではない。
 たとえば四〇一一で、…三島野はむろん鷹がはなたれた地で、そこにもどってくるべきなのに、それをしりめにとびさってしまった、といっているのだし、四四七二で「於保の浦をそがひに見つつ」というのは、任地にこころをのこしながらも官命によってやむなく上京した、というニュアンスなのだろう。つまり、このタイプも、甲乙ふたつの土地の、まうしろだとかななめよこだとかいった位置関係(はあるにせよ、それ)自体が問題なのではなくて、ある期待ないし関心に反して、どこそこをあとにして(あるいはよこめに、しりめにみつつ)別の土地にむかう、という、おおげさにいえば心理的な葛藤を反映したものなのだ。そのことは、なにかと論議が集中し、それゆえに「そがひ」の語義の究明におおきな影響をあたえている四六〇のばあいにもあてはまる。…なにゆえ「春日野をそがひに見つつ」というふうに春日の地に言及するのか、ということなのに、先行研究は位置関係にのみ関心をうばわれてこのことを等閑視している。それは、春日の地が、平城京郊外の、京人の歓楽の地で、いわば生の世界の象徴だからにほかならない。だからこそ、死者理願はそれにせをむけて、とうたっているのだ。
 この意味で、「そがひに見つつ」には「かへり見」するという表現(参照、身崎「柿本人麻呂『阿騎野の歌』試論」『稿』一、一九七七年一二月)と同様のニュアンスがあるといってもよいだろう。

ここも要約しにくいのでおおかた引用した。ここで、重要性のある甲の土地というのは、三島野、大の浦、春日野ということになろうか。つまりAとは違って、視点のあるところはどうでもよく、見られるものを甲として(Aでは視点のある所が甲だった)、どこか向かう所を乙というわけだ。Aの逆ということだがわかりにくい。要するに「そがひに」ということばは、どうしても、重要性のある土地と対象とを対比して表現する時につかわれるということか。「そがひに見える」の場合は、見ている方が重要であり、「そがひに見つつ」は、見られている方が重要だというわけだが、相反する価値のものを、同じ「そがひに」で表現すると言うことだから、矛盾するのではないか。それに、三島野、大の浦、春日野は、はたして重要な土地なのだろうか。「しりめに」とか「やむなく」とか「せをむけて」とかいう、心理的な葛藤を反映した表現なのだろうか。三つの土地が地理的に後方かどうかはどうでもよいというが(あるいは諺的な決まり文句で、嚴密に方向など考える必要はないとか)、「そがひに」の語義が、後方ということから、心理的な葛藤をも表現すると言うことになるのだろうから(決まり文句があるとしてその場合も)、もし、後方という意味でなく、地理的にも後方ではないということになったら、そういう結論はでてこないではないか。春日野などは、後方どころか前方という見方すら有り得る。前方に背をむけてなどと言うことはあり得ない。心理的な葛藤と言うことを言いたいがために、その前提条件をうやむやにしているとも言えるだろう。結論(歌の趣味)が先にあってそれにあうように「そがひ」の意味を作りだしているのではないか。歌の趣味(伊藤左千夫の用語)といっても、氏のいわれるようなものかどうか微妙である(たとえば死者理願が春日野に背をむけたといえるかどうか怪しい)。なお、「かへり見」するということについては、村瀬氏がすでに言及されていた。

身:C「そがひに寝しく」
 …。…、「そがひ」の表記「背向」にわずらわされて、男女がたがいにそっぽをむいて(せなかあわせに)ねる、ととってしまうとかえってわけがわからなくなる。「竹を割った」…。…「山菅」が「葉の出かたが互いに背を向ける形であることから」(水島『全注』)というのはこじつけにちかく、葉が左右にむかいあってはえていることをいっているにすぎない。要するにはなればなれにむかいあっているのだが、それならなぜそれを「そがひ」というかといえば、当事者のたちばをはなれて両者のあいだに視点をおいてみたときのものいいなのだ。そのとき一方は他方に対して「後方」の位置にあることになる。そしてここでも、心理状態ということでいうなら、本来わかれるべからざりしものを、というニュアンスがそこにはある。
…。ふたつのものが対称的な位置にあったりはなれてむかいあったりしている。そのあいだに視点をおいていわば静的にみたときがA・Cで、視点の移動があるときがBだ。そして、このような位置関係以上にだいじなことは、そこにふたつのもの・ところをめぐる心理的なあやがはらまれている点だとおもう。

山菅の葉は左右に向かい合って生えているのではない。ヤブランなどは北海道でも普通にあるだろう。実物を見れば、水島説同様、身崎説もこじつけに過ぎない。ヤブランの葉は、放射状に群がり出ている。水島説などは、背をむけるという先入観があるからそういう風に見えるのであって、万葉の歌を知らずにヤブランを見れば、たくさんの葉が上に向かって前後左右に広がりながら群がり出ているのであって、それぞれの葉が背をむけるなどという印象はない(自宅の庭に自然生えがいくらもあるので毎日観察している)。やはり山崎説がぴったりである。竹の場合は、いろいろありうる。切った直後か、あとでまとめられたものか。切った直後なら離れ離れでいいだろう。それにしても「両者のあいだに視点をおいてみたときのものいいなのだ。そのとき一方は他方に対して「後方」の位置にあることになる。」とはどういうことか、「そがひに」に寝るのを歌っているのは男の方だろうから、視点も男の方にあるだろう。もし向かい合っているのなら、後方にならない。背中合わせなら、たがいの後方になるだろうが、それは「位置」ではなく、そう言う状態でという副詞的な用法だろう。あいだに視点をおいて、互いに後方に寝ていると読むのでは、「そがひに」の語義に合わないだろう。「ふたつのものが対称的な位置にあったりはなれてむかいあったりしている。」という歌の解釈が先にあって、語義の方をそれにこじつけたとしか思えない。語義が間違っていれば、当然、心理的なあやの理解もずれてくる。
それにしてもこの結論は、最初に言ったのとは違う。最初は後方説でよいと言っていたのに(最後のCでもまだ後方にこだわっていたが)、対称的とか、向かい合うとかいう結論では、後方にの意味にならない。どちらかといえば吉井説に近い。このあたりも杜撰と言える。