2285、耳我嶺考(継続中)

2285、
音訓混用表記の地名というのは、例外的なものだという通念から言うとかなり多かったように思える。
耳我というのを「みみガ」、つまり訓音表記の地名とする説を検証するために、ほかの訓音表記をまとめてみる。
角太(すみダ)(弁基(春日蔵首老))、津乎(つヲ)能埼(若湯座王)、三毛侶(みモロ)(人麻呂歌集)、三和(みワ)(人麻呂歌集、作者未詳)、吾田多良(あだタラ)(作者未詳)、三名部(みなベ)(人麻呂歌集)、大我(おほガ)野(人麻呂歌集)、守部(もりベ)(作者未詳)、潤和(うるワ)川(人麻呂歌集)、酢峨(すガ)島(作者未詳)、渚沙(すサ)(作者未詳)、因可(よるカ)(作者未詳)
神名備山(訓・訓・音)、神南備(訓・音・音)、神奈備(訓・音・音)、甘甞備(音・訓・音)、多用されて接尾語的な「ビ」が「備」に固定された。
不知也川、五十師乃原、八十一隣、所聞多祢、神樂良、漢語+音といったような型。
ついでに、音訓のほうもまとめた。
左日鹿(サひか)野(山部赤人)、由槻(ユつき)我高(人麻呂歌集)、阿兒(アご)(作者未詳)、佐穂(サほ)山(作者未詳)。師付(シつく)(高橋虫麻呂歌集)。久漏牛(クロウシ)(人麻呂歌集)、沙穂(サほ)(作者未詳)、師齒迫(シはせ)山(作者未詳)、和射見(ワザみ)野(作者未詳)、左野(サの)(作者未詳)。
巻一、二の音訓混用表記をもう一度見ると、
阿胡根(アゴね)能浦、音音訓、伊良籠(イラご)荷四間、音音訓、宇治間(ウヂま)山、音音訓、雲根火(ウネび)音訓訓、許湍(コせ)、音訓)、佐田(サだ)乃岡)音訓、耳我(みみガ)嶺?、訓音、耳我(みみガ)山?、和射見(ワザみ)我原)音音訓。
で、そこでも言ったように、耳我?を除いてみな、音訓で、その訓の部分は接尾語的であった。これに似たものに巻20などの一字一音式で「マスラを」のように「男」だけを訓字にしたのがある(新大系指摘)。今巻3以降のを合わせると、音訓の型も、巻2までに見たのほどではないが、接尾)語的なものがある。巻三以降は、一字一音式はいうまでもないが、そうでないのでも、作者不明歌や、人麻呂歌集のに音訓混用表記の地名が多い。一字一音式以降及び第四期以降は少ない。それ以前でも有名作家のは、人麻呂、赤人に一例ずつあるだけ。やはり、接頭(尾)語的な使い方や慣用的な、また漢語的な使い方でないのは、熟さない表記、未熟な表記(素人的な表記)といっていいようだ。
最後に、どうにも理解の出来ないものをまとめておこう。
角太(すみダ)、津乎(つヲ)、吾田多良(あだタラ)、大我(おほガ)野、酢峨(すガ)島、因可(よるカ)、師付(シつく)、師齒迫(シはせ)山、以上。
大我(おほガ)野、酢峨(すガ)島、因可(よるカ)などの「我」「峨」「可」に、何か接尾語的な意味があれば、「耳我」もその例に入れられるが、「ガ」で何か地名になりそうな語というのは考えられない。「師」「太」は何かあるだろうとは思わせる。吾田多良(あだタラ)は一字一音式の未熟なものだろう。結局「耳我(みみガ)」のような訓音という異様な表記とするより、「耳(みみ)+我(助詞の「が」)」として、「耳のような形の嶺」とするのがよいということになる。そうすれば、巻一、二で唯一の、訓音表記の異様な地名も消滅する。