2284、耳我嶺考(継続中)

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巻4、稲日都麻(509)。これは「いなび+つま」であることが明らかで、「稻日」は訓+訓で、有名な地名の印南のこと。「つま」は「端(はし)」という意味の、一種の地形語で、この場合は、島とか州(す)とかいう意味らしい。正字では表しにくいので、音仮名で書いただけのことで、音訓混用とも言えないから、初めから出すべきではなかった。
巻6、左日鹿野(917)、音訓訓。いずれも仮名としての使用で意味は出てこない。強いて言えば書きやすく趣のある字を選んだといった程度。「サひか・の」だが、なぜ「サ」だけ音仮名にしたのか不明。「サ」を接頭語的なものとみたか。
四八津(999)、音音訓だが、「津」は正字だろうから、「シハつ」となり。音音の地名表記「シハ」と「津」の複合語と見てよい。
大和太乃濱(1067)、訓音音だが、「大」は接頭語だろうから、「ワダ」が本来の地名で、「わだ(曲、入江)」という日本語を音仮名で表記したものだろう。1-31の人麻呂歌に「志我能大和太」ともある。こっちは琵琶湖。
巻7、由槻我高(1087)、音訓。由は音仮名で意味がないが、槻は木の名前でこれが中心の地名。由は普通「齋」が使われるが、面倒くさいので簡単な「由」の音仮名にしたか。渡瀬全注は、1088の弓月の「月」は借訓で、ここの「槻」が正訓だろうと言っている。「由」の音仮名については言及なし。
三毛侶(1093、2512)、訓音音。「毛侶」に意味があるが(神が降臨するところ)、漢字ではうまく書けないので音仮名にし、接頭語の「三(み)」は「御」の意味で、明らかな日本語だから、接頭語的に訓仮名にしたものか。
三和(1119、1684、2222)、訓音。普通「三輪(訓訓)」と書くが、この訓音の表記は珍しい。といっても三例あるが。後世こういうのは、やはり「サンワ(音音)」と読まれるだろう。「三」は例によって接頭語の「御(み)」と理解されただろうが、「輪(わ)」の意味がよく分からず(蛇が三重にとぐろを巻いたといったのは民間語原説だろう)、輪よりも書きやすく感じのよい「和」を書いてしまったか。とにかくややでたらめな表記だ。
阿兒(1154)、音訓。渡瀬全注に「○吾児 地名「粉浜」(児浜)の「児」の愛称か。」とある。それはいいとして、愛称というのは「吾」の場合のようだが、原表記の「阿」にもそんな意味はないのだろうか。それだと中国語としての正字ということになるが(六朝に用例有り)、ちょっと考えすぎかも知れない。とにかく、接頭語的な機能だろう。
吾田多良(1329)、訓訓音音。普通「安太多良(今は安達太良)」と書くから、音字ばかりの仮名書きで四字の地名となり、意味は不明(たぶん方言)となるが、「吾田」というのはなぜこの二字を訓字にしたのか分からない。「あだ」と「たら」の合成語とみて、その「あだ」に自分の領する田といった意味でもこめたのだろうか。「たら」は意味が分かっていても漢字では書けないので音仮名のままにしたか。とにかく、固有名詞になにか意味を持たせようとした遊び心による表記だろう。
追記、吉田の「大日本地名辞書」によると「あたた+ら」で、「ら」は接尾語のように添えられたもので、「あたた(安達)」が原名らしい。そのあたりは岩代の安達郡である。これだと「あだ+たら」と解して、「吾田+多良」と表記するのは誤解と言うことになる。なお、吉田は、「あたちたろう山」と読むのは後世の訛にすぎないと言っている。万葉の歌は、やはり「あだ+たら」と理解し、その前半を訓字で書き、後半は意味が分からずに音字で書いたものだろう。
佐穂山(1333)、音訓。普通「佐保」と書く。なぜ「保(音)」を「穂(訓)」にしたのか分からない。音訓混用というのもそう潔癖に避けたのではないようだが、やはり、なにか意図があるのだろう。「保」だとただの音仮名だが、「穂」だとススキの穂などを連想して風流な感じがしたのだろうか。「佐」は接頭語的だからそのままにしたのだろう。「サホ山」を「サ穂山」としたということだ。
巻8、伊波瀬(1419)、音音訓。訓字だけで「石(岩)瀬」と書けそうだが、「イハ」の意味をはっきりさせたくなかったのか、よく分からなかったのか。以前の「能登湍」もそうだった。
巻9、三名部(1669)、時代別によるとこの「部(へ甲類、べ甲類)」の語原はよく分からないという。百済で「部」の音を使ったのを借用したかとも言う。音仮名に分類しているから音字なのだろう。とすると、訓訓音となる。ただし「部民」の意味で多用されるので、訓字に準じるものとなっていたであろう。
湯羅(1670、1671)、訓音。これはまったくわけがわからない。別に温泉があるわけでもなく、「ラ」が何かの地形を意味するのでもない。
大我野(1677)、訓音・訓。これは「耳我」に似た構成だが、「大」はいいとして「我(ガ)」に何かの意味がありそうにも思えない。
師付(1757)、音訓。これは、訓音ではないが、なんとも意味の分からない地名だ。シヅクをシツキ(志筑、後月)でも通じるとすれば、『古代地名語源辞典』で、シヅ(垂)+キ(場所を示す接尾語)で傾斜地とする(茨城県は全く行ったことがないが、師付の田居というのだから、傾斜地というほどでもないのだろう、特に歌に詠まれたところ)のが参考になるが。語原が当たっているかどうか心もとないが、とにかく、それを音訓で表記するのが異様だ。
久漏牛(1798)、音音訓。黒と書けるのに(他の2例は黒牛)、なぜわざわざ「久漏」という奇妙な音仮名を使うのか分からない。黒という表意文字を嫌ったのか。
巻9は奇妙な音訓混用が目立つ。
巻10、沙穂(2221)、音訓。佐穂と同じことが言える。
守部(2251)、訓音。三名部と同じことが言える。
巻11、潤和川(2478)、訓音。「三和」と似た形。「和(ワ)」という音にどんな意味があるのか分からないから、なぜ訓音という変わった表記にしたのかも分からない。音仮名だけれども、「和」の表意に好感を持ったために、音字ということを無視したのか。聖徳太子も「以和為貴」のように「和(ワ)」を日本語のように使っている。
師齒迫山(2696)、音訓訓。これもなぜ音訓混用なのか分からない。意味不明ながら、「はせ」を何か意味のある日本語ように感じ、それに「シ」をつけたのか。

井堤(2717、2721)、訓音。これは普通名詞。提は仮名と正字を兼ねたような使い方。井手とも書くが、これでは意味が通じない。井にする堤。訓音だからやや強引な熟語だ。
和射見野(2722)、これは巻2で見た。「~見」の型である。
酢峨島(2727)、訓音。これは「耳我」に似ているが。「す」も「ガ」も意味不明。中須賀、横須賀、蜂須賀などの須賀かもしれないが、訓字音字の合成では何とも言えない。
渚沙(2751)、訓音。これも「すサ」では何のことか分からないが、井堤に似た所がある。渚の砂、といったイメージを持たせるために強引な語構成にしたか。
聞都賀(2752)、訓音音。これは、「聞く」は上から続く普通の動詞で、「都賀」だけが地名。ということは、音音で、出し間違い。抹消する。
巻12、因可(3020)、訓音。「よる」も「カ」も意味不明。
巻13、左野(3323)、音訓。これは「左野方」で出すべきだったが、それでも本体は「左野」で「左」は接頭語的に使われている。