2283、耳我嶺考(継続中)

2283、
巻3以降でよくでるものに「かむなび」がある。これは普通名詞と固有名詞がある。
神名備山(324、1419、1937、1938、3228)、神名火山(969、1466、2162、2657、2715、3224、3266)、甘南備(1125、1435、2774、3223、3227、3230)、神邊山(1761)、神南備(1773)、甘甞備(3227)、神奈備(3268)
なんと7通りもある。
神名備山(5)、神名火山(7)、神邊山(1)、神南備(1)、神奈備(1)
甘南備(6)、甘甞備(1)
神(15)と備(14)の付くのが多いが、神を甘と書いたのも6例もある。
このうち、全部音というのは甘南備の1例。正字は一例、神邊(かむなび)がある。
訓訓だろう。つまり「かむ+な+び」(かむ・の・へ)という語構成で、「へ」の意味を「邊」でああらわし、「び」と読ませたようだ。
全部訓字というのは「神名火」の1例。あとは、神名備山(訓・訓・音)、神南備(訓・音・音)、神奈備(訓・音・音)、甘甞備(音・訓・音)である。全部音字は見た目はいいが、3字だし、意味も通じない。全部訓字というのも、3字だし、「神」の意味は分かるが、「なび」が通じない。あとは、訓・訓・音、訓・音・音、音・訓・音、で、みな音字が最後に来ており、それもすべて「備」で、安定した用字にはなっているが、意味は通じない。「神」はわかっても、「なび」がわからず、適当に訓仮名、音仮名(特にビは備の音仮名に一定)をあてたようで、神邊というような正字で書くのは珍しい。とにかく、音訓混用のなかで、訓+音(3字なのでいろいろ組み合わせはあるが)という地名はほとんどないはずなのが、ここにたくさんあることになる。あまりによく使われて「なび」の意味が分からなくなり(だから「び」を「邊」で書くというのがむつかしいし、それを正確に「かむなび」と読ませるのもむつかしい)、神名火山という訓字のみのものでは余計な連想が起こりそうなので、「備」という音字で締めくくったようだが、こういうのは、やむを得ない、訓+音地名といえよう。
巻11、不知也川(2710)
巻13、五十師乃原(3234、3235)、八十一隣(3242)
巻16、所聞多祢(3880)、神樂良(3887)
こういうのも、一つのグループといえる。巻13、16というかわった長歌のある巻に多いのも特徴か。義訓+音字という構成である。義訓といっても、その訓が地名の意味を表しているわけではない。といって借訓(当て字)というには漢語じみている。漢語+音字というので、純粋の、訓+音の型ではない。地名としては普通には使えない不純なものだ。
あとは個々に点検するしかない。
巻3、角太(298)、スミダ。西宮全注では、
「角太」は訓・音の連結表記で、紀州本、陽明本に「角田」とあるが、二九五番歌にも訓・音表記例があった。
とある。二九五番というのは、同じく西宮全注で、
「木笑乃」である場合、「木《キ》」は訓仮名、「笑《シ》」は音仮名となって文字連結上疑問は残る。
というものである。「住吉の岸」とあるので、普通名詞の「岸」として例には出さなかった。つまり普通名詞でも、訓+音の表記は違例だというのである。「角太」は他本に、「角田」とあるそうだが、これなら、訓+訓という素直な表記になる。いずれにしろ、「耳我」の訓音表記に匹敵する異例である。「スミ」は、地名としての意味を持つ正字(確かに紀州の紀ノ川沿い地方の東端にある)で、「ダ」は恐らく「田」の意味だろうが(万葉にも佐田とかがある)、なぜ音仮名にしたのかがわからない。
たんなる臆測で言うなら、「スミダ」だから「田」が有るのかと思ったら、ただの河原でどこにも田がないから、「太(ダ)」と書いたといったところか。
298 真土山《まつちやま》 夕《ゆふ》越え行きて 廬前《いほさき》の 角太川原《すみだかはら》に ひとりかも寝む
西宮全注に
○廬前の角太川原 橋本市隅田町を流れる紀ノ川の河原。「廬前」はこの隅田町あたりの総名かという。
とある。隅田なのに紀ノ川の河原で野宿かとでも思ったか。地名に対する駄洒落。
巻3、能登湍河(314)、これは西宮全注は何も言わないが、音音訓で、なにか瀬に特徴のある川があり、ノトの意味が不明だったので、ノト瀬(音音訓)川としただけのものだろう(大和の広瀬川などは、確かに瀬が広い)。
巻3、津乎能埼(352)、この「乎(を)」を時代別は音仮名にしているが、乎に「を」という音はなく(音はコ)、訓読みに「乎(を)」があるから、訓字だろう。「津乎」の場合、「津」は港の意味があるかも知れないが、訓仮名を二つ続けたものと見るべきだろう。「津尾」の可能性もあるが要するに不明。ただし訓+音でないことは確か。

修正、時代別がこんなところで失敗するわけがないといろいろ見ていくと、音仮名だけで書かれていて訓仮名など出てこないところで「乎(を)」と書かれた例が散見する。つまり当時は「乎」を「ヲ」と読む音があったと言うことになる。「津乎(つを)」にしても、ここだけ訓仮名とするのは困難だから、訓+音、という地名になる。異様な例だが仕方がない。