2249

2249、
西條氏の論文を読む前に、ちょっと寄り道して、西郷信綱氏の文を読んでみた。「神話と国家・古代論集」平凡社選書、1977年6月1日初版、所収の「古代詩歌の韻律」(初出1976年7月、原題「古代詩歌のリズム」)
題は大きいが、論じられていることはかなり狭く、記紀歌謡や万葉集のリズムのことが全面的に分かるとまではいかない。論題は57577の定型短歌がなぜ万葉集で圧倒的になり、古今集ではほぼすべてがそれになったのは何故かということである。記紀歌謡では、57をくり返す長歌よりも、346音などのまじる破調(2247で変調といったのは取り消す)が多い。それが万葉の人麻呂長歌では、575757…577という単調な形式になり、しかも記紀歌謡にはなかった反歌が付き、その反歌に名作があって、結局57577の定型短歌が圧倒した。初期万葉の短長歌記紀歌謡の名残だ。そう言った変遷は結局リズムの問題だというのである。
そこで要注意なのだが、西郷氏がいうリズムというのは、詩の言葉のリズムのことである。しかしそれだと、記紀歌謡など、声に出して歌われるのが原則のものの言葉のリズムとはなにかとういう疑問が生じる。歌謡の場合は音楽的なリズムが圧倒的だと思うのだがどうなのだろうか。
記紀歌謡は、すでに原始的なものではなく、大陸音楽の旋律にセットされた歌い方を示すという。楽器伴奏が入ると歌謡の詩としての自立性は失われるという。それは当然だろう。だいたい歌謡に詩を感じることが普通ではない。
それでも記紀歌謡のリズムは身体的な所作と結びついていて、二句ごとの休止は足取りのこだまにほかならないが、人麻呂の長歌はのべつ幕なし調になって休止がない。宮廷の儀式歌が高度の中国音楽の受容と共に、まだ立体的な喚起力を持ち身体的なリズムに裏打ちされていた記紀歌謡(初期万葉の長歌にもそれはある)らしさを失い、定型のリズムと技巧の多用によって荘厳な長歌形式を完成させていったが、しょせん単調な儀式歌になり、すぐれた歌とはならなかった。
このあたりは説得力がある。これだと天武の25番歌などは、記紀歌謡的な身体的なリズムで詠めば、「み吉野の耳が嶺」が鮮やかに浮かび上がるが、人麻呂長歌のように、のべつ幕なし調的に詠めば「み吉野の耳我の嶺」は地図上の眺めというか一点というか移動というか、ただの説明になってしまう。実体感が薄れる。
しかし、西郷氏の論考も西條氏と似ていて、さあこれからと言うところで終わってします。古今集以降の短歌のリズムは論じられない。人麻呂以外では憶良だけが論じられたが、それも中国文化の影響に散文化ということで、記紀歌謡との関係は論じられない。氏も言われるように、全体として古事記注釈の副産物といったものなのだろう。大陸音楽の影響と言うが、声に出して詠んだり歌ったりおどったりするのと、目で詠む長歌短歌の言葉のリズムとはどう関係するのか、ほとんどふれられない。ただ大陸音楽の影響があったというだけだ。