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昨日、大井重二郎を忘れていた。その説の要点は、「真神の原は陵墓の地。檜隈大内陵もその一部。」というもの。何となく、最近宮殿説が有力なように見えるが、新大系、古典全集など最近のでも陵墓説のがある。「真神の原に…天つ御門を…定め賜ひて……磐隠れます」という人麻呂の表現があまりに曖昧だからである。それに飛鳥大仏のあたりが真神の原だと言っても、その広さが文献で分かるわけでもなく、檜隈大内陵までにしても、離れているようでそれほどでもない。阿蘇のように、飛鳥大仏から香具山の麓まで広大な平地を全部真神の原だという極端なのもある。それほどでなくとも、多武峰の麓から、甘橿岡までというようなかなり広いのもある。
檜隈大内陵(天武持統合葬陵)というのは、近鉄橘寺駅(私がよく行った頃の名前、飛鳥駅と改名されてから飛鳥はむちゃくちゃになった)から歩いて、平田の谷間を東へ上り詰めたところの左(北側)にある。鬼の厠、亀石、などのある尾根に近いから見上げるようだが、それでも、明らかに飛鳥地区とは別の領域だと分かる。大内陵もおおかた南を向いていて、川原寺のある地区にはそっぽを向いているし、橘寺あたりまではまだ距離がある。だいたい「真神」の語原がはっきりしないから、広狭様々な説が出る。一般には狼のことだと言われるが、疑わしい。狼なら足があるのだから、どこだって行ける。原が広くなったり小さくなったりするのももっともだ。
しかし、当時の都があったとも言える浄御原のあたりに狼が出るはずもない。それならかなり昔の命名が伝わったものか。そうすると、「真神が原」のほうが古色があり狼らしい怖さも出る(事実そう読んでいる注釈書もいくらかある)。なのに、「真神の原」となっている。それに、狼は大神とも呼ばれたりするが、「真神」などというのは万葉集の3例だけらしい。
また、書紀の記事でも、なぜか、飛鳥大仏にからめてその地名を出している。だから、浄御原をはじめ、あのあたりの狭小な地名として見ていい。つまり、狼ではなく仏教語の真神による地名だとみたいのである。それほど法興寺(飛鳥大仏)の建立はインパクトがあったのだろう。新しいから「が」ではなく「の」になった。仏教語の真神については以前少し触れたが、それ以上の調査はまだ行っていない(図書館が100日以上も閉まったらどうにもならない。)。