2061~2065
残りの目次を全部見た。全体に方言関係の論文が多い。もちろん万葉関係のは少ないし、地名関係はほとんどない。そんなかで西宮一民氏の、奈良県方言の論文があったのはちょっと驚いた。もともと奈良県出身の人だから別に不思議ではないが。なおデータベースが2004年で止まっているのが惜しまれる。その後の16年間の分がない。

2062、
橋本雅之、「『万葉集』と古風土記の視点」、明日香風、102号、2007.4.1、26巻2号、所収。
(中大兄三山歌における阿菩大神のとらえ方の違い)文学的情緒と地誌的叙事という、両者の基盤と視点の違いに由来すると捉えて、おそらく誤らないだろう。(それを計算にいれない結果植垣氏の新説が万葉学者にいまだに認識されていない)。
その通りだと思う。風土記の山の名前には、「の」の読み添えが非常に少ないが、万葉では多い。それは和歌だから、音数や気分の上で「の」の読み添えが多いのだ、と私がまとめたのとも共通するだろう。それにしても私がかろうじて読み取ったことが13年も前にすでに言われているのだから、専門家は恐ろしい。
同氏の、「濡れ通るとも我帰らめや
      ――「筑波嶺※[女+擢の旁]歌会」の歌と『常陸国風土記』」
論集上代文学 第30冊、万葉七曜会、笠間書院、2008.5、所収。
も読んだが、たいしたことはなかった。

2063、2064、2065
山田孝雄「奈良朝文法史」1913、寶文館、から。
格助詞「の」。
「畝火乃山」などの上下関係は二つに区分。
1、体言に対して連体格。(1)名称の場合、上が名で下が質。地名…、神名、人名、種族名(大伴乃宇治など)、物名。(2)下の語を包括するが如き関係。上は所属の主、所在の地等上級の意義、下は部分的意義。下が意義上の本体。思賀乃辛崎など。(3)上が下の性質、形状、資格、所依等をあらわす。つまり下の語を制限する。天乃香具山、梓能弓など。(4)上下同等なるを重ねて修飾。萬千秋乃長秋など。
代名詞と名詞との関係。
「この」「その」「かの」用例略。「これの」「なにの」用例略。
数詞と名詞との関係。(略)
2064、
2、体言に属し、用言副詞に対し補助の関係になる。
客語になる。(一)副詞の客語、天地乃與(アメツチノムタ)。(二)用言の客語、川藻之如久。
連体語になるもの。都由能伊乃知母。
修飾語になるもの。略。
「が」はだいたい「の」と同じ。
1、体言に対しての修飾語。「の」の(1)のようなの(名称)はない。(2)のようなのはある。以下略。
「の」「が」を比較すると自然な区別はあり、今もある。違いを表示している。
「の」全12項目の中で、「が」にはないもの8項目。共通の4項目の内、3項目が代名詞。それを見ると違いは明らか。「の」は指示的、「が」は所有的。差異の第二点、略。第三点、つまり1の(2)、下の語を包括。「が」は上下の結合緊密、「の」は緩い。地名の「が」の場合、上下の関係緊密で、上が名で下が質、というより、一団を以て特別の名称と見るのが妥当。こういうのは地名にしかなく、人名物名にはない。池田のあそ、はあるが、池田があそ、はない。多少音調上の関係もあるが、根本は「が」の意味にある。「が」は狭く「の」は広いと言っていいが、それ以上の本源的な違いがある。
2065、
「の」は下に主点、「が」は上に主点。日本語の構造上、名詞が二つ結合するとき、どうしても下に主点がある。「の」はこれに矛盾しないが、「が」は上に主点があるから、上下譲らず、結局緊密な一語となる。以下、主格の時の「の」「が」の違いを述べる。その他も含めて略。「の」は単に上下をつなぐだけだが、「が」は上を体化させる。最後に間投的用法があるといって終わり、ついで「つ」「な」の説明に移る。どちらも非常に古い格助詞で、熟語的に存在するのみ。「つ」は朝鮮語由来ではないかとも言う。
なんというか、さすがに山田孝雄だ。あまりにも詳しいし、いえることは大方尽くされている。私がようやく考え出したようなこともおおかた出ているし、池上氏、浅見氏などのいうことも、山田の説をちょっと敷延させただけのようでもあり、かえって山田の方が正しいのではないかとさえ思えるのもある。