2027、
多いものは、山、川、池、浜、島。こういうのはそういう地名を特に収集したのだろう。万葉集では、池、浜、島などはそれほど多くない。また出雲はリアス式の島根半島もあるが、これだけ島が多いのは何故だろう。細かく拾い上げたものだ。次いで多いのは、埼。これも海岸線。次いで、野、浦。山間地は中国山地だから野もかなりある。浦は万葉集に比べたら非常に少ない。人麻呂の歌では石見に浦がないとあったが、出雲もその続きの山陰だから少ないのだろう。あと、岳、峰、坂、磯、江。こういうのは万葉集でも少ない。ほかにも少し出さなかったのがあるが、判定が微妙だから。「の」を表記したもの、わずかに2例。、久多美之山(くたみのやま)久多美山(くたみやま)もある。三穂之埼(みほのさき)美保埼(みほのさき)もある。久多美山では「の」を読み添えしていないから、特に「の」をつけたのだが、やはりなにかことわざ的な言いまわしのなかで「の」をつけたようだ。三穂之埼は、御崎とも呼ばれるので、特に丁寧に言ったのだろうか。「の」の読み添えは、山ではゼロ。それだけに久多美之山が目立つ。万葉集では「~のやま」がかなり多かったから、不思議だ。やはり風土記のような公文書的な地理書では、山は「~やま」だったのだろう。川も同じことが言える。斐伊河(ひのかは)だけが例外。一音のはこれだけだから、やはり「ひかわ」では言いにくかったのか。川は清濁が入り交じっている。無原則だ。出雲河(いづもかは)、出雲河(いづもがは)などは同じ地名なのに清濁両方がある。池は全部読み添え。これは万葉集と同じ。埼は混在。浦、浜は全部読み添え。島は全部読み添えなしのはずが、夜見島(よみのしま)、夜見島(よみじま)の両方があって、読み添えの方は唯一の例外。同じ地名なのになぜ清濁があるのか不思議だ。また島も川とおなじで清濁が混じっている。池、浦、浜が全部「~の~」となるのは万葉集と同じで、和歌でも地理書でも同じのようだ。こういう地名を「の」のない形では呼ばなかったのだろう(というか研究者が万葉の読み方を風土記にあてはめたのだろう)。